13回忌となる今年の3月11日。
東日本大震災の犠牲となった数多くの尊い命を追悼し、
様々な形で今も影響を受けている人たちに思いを馳せたいです。
エル・システマジャパンの活動は、
震災復興支援活動として福島県相馬市で始まったこともあり、
これまでも、この節目の日には、いくつかの活動の契機となった話に触れてきましたが、
今日は、当時、日本ユニセフ協会で震災復興の仕事に関わっていた
代表の菊川にとっての一つの重要な背景である、
ユネスコ、ユニセフでの南アフリカ、レソト勤務時代に体感した、
困難な状況を乗り越えようとする人々にとっての音楽の存在について触れたいと思います。
菊川がユネスコの職員として南アフリカに赴任したのは1998年10月。
着任したその週は、まだ故マンデラ氏が大統領で、
まだまだアパルトヘイトの爪痕が色濃い状況でした。
そうした中、公私の場で出会った黒人の友人達が、
よくアカペラで歌っていた「Senzeni Na」という曲。
力強さを感じる美しいハーモニーですが、
直訳すると「私は何かしたのか?ただ、肌の色が黒いことが罪なのか?」
という歌詞が繰り返される、反アパルトヘイト闘争のプロテストソングでした。
ちなみに、こちらの動画は、
今はマルチレーシャルなケープタウンユースクワイアのもので、隔世の思いです。
東日本大震災、特に、原発事故の被害にあった福島で復興支援活動に従事する中、
蘇ってきたのがこの歌でした。
地震も津波も天災。原発事故はそうばかりではないですが、
どちらにせよ、そこに暮らしていた人々、特に子どもたちには罪はありません。
にもかかわらず、あらゆる偏見や差別にさらされている現実。
ただ普通に暮らし、豊かな自然に触れる生活ができない不条理。
南ア、ナミビア、レソトの美しい大地に響く、
人種差別の苦悩を語る力強い歌声の「Senzeni Na」を思い出し、
ああ、同じように美しい福島の困難を乗り越えるために
音楽は何かできるかのかもしれない、と純粋に感じていた頃、
タイミング良く出会ったのが、これまでの何度も語っている
ベルリンフィルのホルン奏者ファーガス・マクウィリアムさんだったのです。
ファーガスさんから熱くエル・システマについて語られ、
なぜスコットランドでできたことを日本でできないのかと訴えられ、
まあ、確かに、音楽は困難を乗り越える勇気になるかもとアフリカでの話をしながらも、
お金もない、人もいない、自分自身もユニセフで多忙だから難しいと回答したら、
いや、君はパッションがあるから大丈夫、
と何の根拠もない話になったのですが、
思えばパッションだけは強くあったのは事実でした。
もちろん、いざ動き始めようとした中で知った
福島や相馬でのユニークな弦楽器教育の歴史、
関わって来られた地元の素晴らしい音楽、
行政関係者、支援者との出会いがあったから、
実際の行動につながっていったのですが、
最初にあったパッションは今もかわっておらず、更に強くなっているかもしれません。
福島や岩手の被災地に留まらず、
地理的、経済的、物理的、身体的等々、様々な理由で、
音楽を楽しむ機会が限られていた子ども達のために尽力し、
そして、差別がなく、誰もが自由で創造性を発揮できる共生社会を実現したいという。
被災地の相馬や大槌の活動も、卒業生が社会に出始め、
地域社会へのインパクトも見られるように発展してきていますが、
復興関連の公的予算が減る中、これからも持続していくことが課題ではあります。
それぞれの地域の実情に合わせ、
地元自治体にとどまらない地域の関連機関と連携しながら、
希望する誰もが参加できる音楽教室を応援頂ければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
写真は、それぞれ津波に耐えた相馬原釜海岸と大槌波板海岸の松の木です。強く美しい自然です。
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