月曜日に始まったクラウドファンディング
「大槌から豊中へ。子ども達の交流演奏で震災の記憶を次世代に伝えたい」
おかげさまで、開始6日目で目標金額30%を達成しました。 本当に皆様のご支援に感謝いたします。
今日は、今回、大槌子どもオーケストラが演奏に向かう
豊中市との絆について改めてご紹介いたします。
絆の始まりは、2011年東日本大震災でした。 地震により発生した津波は、大槌町の大半をほぼ壊滅させ、
町長や幹部職員の多くを失った行政機能は麻痺しました。
その後発生した火災で、被害はさらに広がり、
大槌町は、人口当たりでの死者・行方不明者の数が最も多い市町村の一つとなったのです。
そうした中、岩手県を支援する大阪府からの要請で、
初期の頃から職員を派遣していたのが豊中市です。
豊中市は、阪神・淡路大震災で大阪府内最大の被害を受けた経験を持ち、
全国から様々な支援を受け、今日の復興に至ることができたという思いから、
東日本大震災被災地に対し出来得る限りの支援を行ってきたのでした。
現在、豊中市消防局長の小倉さんは、
当時5か月間大槌町に派遣されていた頃のことを次のように振り返ってくれました。
「大槌町では仮設住宅で暮らしていましたが、
まわりにお住まいの方々は皆さん被災されているにもかかわらず、
遠い大阪からわざわざありがとうと多くの方が声をかけてくれました。
特に近くの魚屋さんには家族ぐるみで親切にしていただき、
ときおり帰宅すると玄関のドアノブに美味しい魚を吊り下げてくれていました。
心のあたたかい人が多い町だと心から感じました。」
その後、大槌町側からは支援への謝意、
そして豊中市側からは応援を継続したいとの思いから、
両自治体の交流は様々な形で続いていて、
2013年には、大槌町にある大槌高校吹奏楽部と
豊中市にある桜塚高校吹奏楽部が豊中市内で、演奏会を合同で実施しました。
また、翌2014年には、豊中市内の4つの高校の吹奏楽部員が
大槌町を訪問し、演奏会を行っています。
小倉さんは、今回、大槌の子ども達が豊中市で行われる
「世界のしょうない音楽祭」に参加することへの思いを
次のようにメッセージを寄せてくれました。
「震災からまもなく12年になろうとしています。 8月に久々に大槌町を訪れましたが、街並みは大きく変わり、
町民の表情も明るくなっている気がしました。
しかしながら、まだ被災した皆さんの心の傷は
完全に癒えているとは言えないとも感じました。
震災後に生まれた子ども達には震災がどのように伝えられ、
どのような感覚を持っているのか。
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町の震災を知らない子ども達が、
支援と交流を続けてきた音楽あふれるまち豊中に音楽を届ける。
その音色であらためて被災地の心の復興と、
災害のない平穏な暮らしを祈りたいと思います。」
大槌町と豊中市の絆を紡ぐ子供たちの演奏、ぜひ応援いただけたら嬉しいです。
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