岩手県大槌町で、エル・システマジャパンのプロジェクトコーディネーターを務める、臺隆明さん。大槌町で生まれ育った、生粋の大槌人です。2013年に「エル・システマ」を旧知の友人を介して知り、プロジェクトの立ちあげを勧められましたが、はじめは関心がなかったそうです。「エル・システマについていろいろ調べたけれど、よく理解できなかったし、大槌に弦楽器は必要ないと思った」と当時をふり返ります。
そんな臺さんが、大槌でエル・システマジャパンの活動立ち上げに動きだし、翌年には大槌町と協力協定を結ぶに至ったのは、「エル・システマ」とはその名通りの「ザ・システム」ではないと悟ったからです。定型の音楽プログラムを外から導入するのではなく、エル・システマの理念を基盤にしつつ、大槌町独自の音楽プログラムを育てていけばいいのだと思いました。
もともと大槌町には、吹奏楽の素地はありました。薹さんの長男・隆裕さんもトランペットを演奏し、『TSUCHIOTO(槌音)』という大槌発のジャズバンドで活動しています。その隆裕さんが高校2年生に進級するというとき、東日本大震災が発生しました。当時内陸で仕事をしていた臺さんは、震災の翌日、釜石から徒歩で大槌に戻ったものの、津波で流され基礎部分しか残っていない自宅を目の前に愕然としたそうです。そして、この状況では妻の裕子さんは助からなかったと判断し、隆裕さんを探しに一路学校へ向かいました。
高台にある高校へ通っていた隆裕さんは幸いにも無事でした。しかし、体育館でほかの避難者のお世話をしていた息子に再会して安堵するのも束の間、隆裕さんに「お母さんは?」と訊かれ、薹さんは裕子さんを探しに行く決心をします。わずかな望みを繋ぎながら、ひとりで道なき山をおり、今度はのぼり…。視界に広がるのは、すっかり変わり果てた町の姿でした。あちこちで火の手も上がっていました。不安と戦いながら山の中を半日間歩きつづけ、臺さんはようやく別の体育館に避難していた裕子さんと無事再会することができました。
震災前、大槌町は外との繋がりがあまりなかったそうです。地元の人たちは若いときに一度は東京へ出ても、みんないずれ大槌町へ戻ってきます。それが震災をきっかけに外から人が入り、復興へ向けて手を携えることになりました。いわば、地域内で完結していたコミュニティのあり方に転換期が訪れたのです。
「大槌に弦楽器は必要ない」と薹さんが考えていたように、外からの影響で大槌町の伝統が失われていくのではと不安を抱いている地元の方たちは、少なからずいるのかもしれません。しかし、薹さんは言います。「今は新しいことでも、50年、100年経てば、それは私たちの伝統になる」その言葉には、大槌町ならではの音楽教育プログラムを育て、地元に根づかせていこうという意気込みが感じられます。
「家族が生きているかどうかわからないときが一番不安だった」という、薹さん。震災後にネットで取り寄せたトレーラーハウスに今は住んでいますが、年内に新しい家の着工を目指しているそうです。子どもたちの成長、町の発展、その先にあるべき、みんなの幸せ。その一端をエル・システマジャパンも担えたらいいなと思います。
(写真は「ひょっこりひょうたん島」のモデルであり、大槌町の復興のシンボルである「蓬莱島」を大槌湾に望む臺さん)