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浅岡先生が目指すものとは…


相馬子どもオーケストラの音楽監督を務める浅岡洋平先生。今は情熱と独特のクールさをあわせ持つカッコイイ大人ですが、そんな浅岡先生にも子ども時代があったはず。どんな子どもだったのか、そしてどんな経験を通して、浅岡先生は「音楽の素晴らしさを世の中に広く伝えたい」と考えるようになったのか、ご本人に訊いてみました。

幼少期の浅岡先生は、「天真爛漫な子」だったようです。ご両親はふたりとも声楽家で、生まれたときから徹底した英才教育を受けてきたのでは…と思いきや、幼稚園からご両親に勧められてはじめたピアノは、浅岡先生のやんちゃぶりに7人の音楽の先生が匙を投げ、小学1年生でストップ。それからは野球一筋だったそうですが、5年生で自宅にあったチェロに触れ、ふたたび音楽のレッスンをスタート。しかし、まだ本腰ではありません。練習もろくすっぽしなかった浅岡少年の魂に火がついたのは、地元・富山の弦楽合奏団に中学1年生で参加したときのことでした。弦楽器の美しい音色にすっかり魅了され、クラシック音楽のレコードを片端から聴く日々がはじまります。そして、「音楽の道に進む」と決めた若き日の浅岡先生は、藝高、藝大へと進学し、さらにはニューヨークのジュリアード音楽院へ留学して、演奏家として超一流の音楽教育を受けました。

しかし、浅岡先生がジュリアードで一番関心を持ったことは、演奏家として頂点を極めることではなく、「音楽が社会にどうコミットしていくか」という新たな挑戦でした。限られた人々の間でしか享受されていないクラシック音楽の素晴らしさを、どうしたら、まだリーチできていないひとたちに伝えることができるのか−−。「音楽とは何か、ずっと知りたかった」と浅岡先生は語ります。中学1年生から自分をずっと虜にしてやまない音楽の正体は何か、なぜ自分は音楽を続けているのか、その音楽をつくる人間とは何か。人類そのものの存在を問うような大きな力が浅岡先生の原動力であり、その力の大きさや豊かさを確信すればするほど、他者ともその力を分かち合いたくなったのかもしれません。

「子どもたちのひとりひとりが自分の意思で好きなことを見つけること、そして、もっと好きなことが見つかったとき、自由にそこへ向かっていける環境が教育には大切」と浅岡先生はおっしゃいます。相馬子どもオーケストラの活動に参加することによって得ることや学ぶことは、ひとりひとり違うのかもしれません。弦楽器の音色に夢をふくらませたり、今日はじめていい音が出せるようになった自分に自信を持てたり、新しい友達を見つけたり。子どもたちそれぞれに生きる力の形があり、その可能性を限定しないことが大切なのかもしれません。

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