「エル・システマに、第二の人生をかけています」と話す、弦楽器指導担当の須藤亜佐子先生。4年前に相馬市役所でエル・システマジャパンと相馬市の協力調印式が行われたとき、目を輝かせながらも、とても緊張した面持ちをしていらしたのが記憶に鮮明です。
須藤先生は南相馬市の小高区でバイオリン教室を開いていましたが、震災で自宅は無残な状態になりました。そして小高区は原発事故で避難指示区域となり、かわいがっていた生徒たちは散り散りに。「もう終わりだと思った」と絶望のあまり1年間、避難先の相馬にある実家に引きこもったという須藤先生。その先生が2012年3月に出会ったのが、『エル・システマ』でした。
2012年5月の協力調印式のあと、エル・システマジャパンの派遣講師として中村第一小学校器楽部で音楽指導をスタート。それからしばらくして、長年闘病生活を送っていらした旦那さまが亡くなるという厳しい状況にもかかわらず、その後始動したばかりの『週末弦楽器教室』を懸命に支え、相馬子どもオーケストラの基盤を作ってくださいました。「先生同士、子ども同士、みんなで励ましあって、ここまできました」と須藤先生。それには、家族や親戚を亡くし、家を失い、避難生活を強いられ、それでも互いに支えながら一緒に立ち上がったという背景があります。先生曰く、相馬子どもオーケストラが、指導者も含めてみんなの居場所になっているのだとか。
「私自身、エル・システマジャパンの活動に関わって、あきらめないことを学びました」とおっしゃいます。震災前に教えていたバイオリン教室では、生徒それぞれのペースに合わせればよしとしていたそうですが、相馬子どもオーケストラでは音楽監督の浅岡洋平先生が掲げる高い目標へ向かって、子どもたちと一歩ずつ、ときにはゴォーッと勢いよく前進していきます。「苦しくても、あきらめず、こつこつと頑張ればできるようになる。その先には喜びがある。私は本物と向き合うことを知りました。だから、子どもたちにも、努力することの大切さを知ってほしい」と語ります。
最近、お友達に「若くなった」とよく言われるそうです。たしかに、4年前の協力調印式のときより、ずっと生き生きとしていらっしゃいます。「人生はデクレッシェンドだと思っていたけれど、そうではないんです。まだまだこれからです」というパワフルな須藤先生のご活躍を、これからも無限大のハートで期待しています。